

モダンボーイとモダンガールが闊歩する京城で、自由な恋愛を楽しむソヌ・ワン。
1930年代、京城に生きていた一般市民はどのような恋愛感を持っていたのでしょうか。
現在84歳の在日韓国人の方にお話を伺ってみたところ、
その頃の結婚は一般的にお見合いがほとんどで、
年頃の娘は親が決めた相手と有無を言わさず結婚させられていたそうです。
ある日突然写真を見せられ、「この人との結婚が決まったよ」と告げられることも珍しくなかったとか。
そしてその写真が何と7年前のものだったり・・・。
「勝手に決められて反発しなかったんですか?」と聞いたところ、
「当時は親が決めた結婚が普通だったから反発も何もなかった。
結婚はそういうものだと思っていたのよ」。
「相手はどのように決められていたんですか?家柄とか経済状況とかを見て?」
「まずその家の親がどんな人か、まわりの評判を聞いたり。
私の親は、相手がお金を持っているかどうかよりも将来性があるかどうかを重視していた。」
そして、当時の韓国で結婚相手を決める時に何よりも重要視されたのが“占い”。
お互いの生年月日や生まれた時間などから相性を見るそうです。
「私の家はオンドルで使う紙を扱う問屋だったから比較的裕福だった。
でも相手の実家は貧乏でね。しかも抗日運動をしていたから
日本の警察にマークされるような人だった。兄さんは反対したけど、
父は国のために身を捧げる立派な青年だって感心して、結婚が決まったのよ」。
20歳で結婚し、23歳で日本に渡ってきたおばあさん。
それ以後84歳の現在まで韓国には帰ったことがないそうです。
「京城にいる時、日本人の先生に日本語を習ったの。
日帝時代は国にとってはつらい時期だったけど、
私は日本人の友達もできて意外と楽しかった。
日本に渡ってきてからは苦労したけどね・・・。」
「日本の女の人は昔から愛嬌があってかわいい雰囲気があった。
だから同じ時期に日本に渡ってきた韓国人の奥さんたちと
“夫を日本の女性に取られないよう頑張りましょう”って話してたのよ。」
そう言って照れ笑いするハルモニ(おばあちゃん)の顔は
どことなくチョマジャさんにも似てる・・・??
「でもあの頃、白いチョゴリに黒いチマの子は結構いたと思う。
私も普段はそうだった。」とのことです。


