「ホジュン博物館」見聞記 〜その1〜

ホジュンファンの方はすでにご存知だと思いますが、昨年3月に「ホジュン博物館」なるものがソウルに誕生しました。ドラマをきっかけにできたものなんですが、行ってみてびっくり。これが思った以上に立派な建物なんです。
中に入ってもっとびっくり! 貴重な資料がいっぱいで、ホジュンについて新しい発見もたくさんあり、じっくり見て回ったら1日では足りないほどです。
もし韓国に行くことがあったら、ぜひ行っていただきたいですが、日本語の説明文はありませんので、ここで簡単にご紹介したいと思います。
1-1【場所はホジュンの生まれ故郷】
場所はソウルの端っこ、江西区にあります。金浦空港のほうですね。
地下鉄5号線のバルサン駅で降り、バスに乗り換えて20分ほどで着きます。バスがややこしくて、6642番または6644番に乗って「コンジン中学校前」で降りるのですが、アナウンスをしっかり聞いていないと乗り過ごしてしまうので、運転手さんに「ホジュン博物館で降ろして下さい」と言っておくといいです。
近辺にはこれといった名所もなく、観光客はほとんど訪れないところですが、ここに博物館が建てられたのは、ホジュンが江西区の生まれだったと言われているからです。
ただ、正確な記述は見つかっておらず、ホジュンと交流のあった人物たちの日記やその他関連記録から、陽川県ノンゴク洞ベクソク村(現在の江西区ドゥンチョン2洞)と推定されています。
バスを降りてちょっと後ろを振り返ると、通りの向こう側に黒光りする石造りの立派な門が見え、その横にはホジュン先生が診療している様子を浮き彫りした絵が埋め込まれています。その隣りにホジュン博物館とまったく同じ門構えで「大韓韓医師協会」の建物がありました。
1-2【ホジュンと陽川】
入り口を入ると、だだっ広いロビーの左手に記念品売り場があり、その先に地形を表した模型がありました。陽川(現 江西区)の地形を形づくったもので、ホジュンが生まれ育った陽川がどのような歴史を持つかが説明されています。
朝鮮時代は陽川県といい、『世宗実録地理誌』の記録によると、人口は202戸 509人で、京畿道の38郡県のうち、戸数は32位、人口は35位という小さい県だったようです。
韓国には“本貫”という日本の本籍(といっても、その歴史は日本の比ではありません)にあたるようなものがあり、ホジュンの場合は陽川が本貫です。つまり、ホジュンの先祖は陽川で生まれ育ったということです。
江西区の隣りに陽川区がありますから、そっちが本当ではないかと思うでしょうが、もともとは同じ陽川だったものが、戦後の行政区域改編で合併や分離を繰り返した末、今のように落ち着いたようです。
1-3【ドラマのあのセリフが…】
展示室は2階にあります。
最初に訪れるのは「ホジュン記念室」です。
ホジュンの誕生からの経歴、周辺人物との関係などを紹介する部屋で、ホジュンについて書かれた古書やホジュンの名著『東医宝鑑』などに焦点をあてて紹介しています。
入るとすぐ右手にホジュンの説明があり、左手には医書に描かれた人体図をモダンにデザインしたパネルが数枚飾ってあります。
その最初のパネルには、ホジュンが著した『東医宝鑑』の本文の冒頭に書かれている文章がデザインされています。その文章とは、ドラマ「ホジュン」の第10話で山の師匠(アン・グァンイク)がホジュンに医術について語る場面、「生命の根源は宇宙の根源と同じ/人の頭が丸いのは空に似て/足が四角いのは地に似た…」の、あのセリフです。こんなところで再会して、ちょっと感激しました。
1-4【ホジュンの家系図】
「ホジュン記念室」で一番面白かったのはホジュンの家系図です。
陽川許氏の始祖である許宣文にはじまり、祖父の許ゴン、父・許ロン、そして許浚、許謙と続いています。始祖から数えると、ホジュンは20代目にあたります。
これを見ると、ホジュンの妻はイ・ダヒではなく安東 金氏になっています。女性の場合、名前は家系図に記載されないので名字しかわからないのですが、“安東”が本貫、姓が“金”ですから、キムさんのはずですね。キム・ダヒかしらん? また、ホジュンには弟もいたようで、名前を「澂(ジン)」と言います。ドラマにはまったく登場しない人物ですね。 さらに、息子の許謙は清州 韓氏と結婚したことになっています。
1-5【復活したホジュン】
400年も前の先祖までたどれるのは、韓国に「族譜」という家系図があるからです。といっても両班の家だけで、農民や賎民にはなかったのですが、現在の韓国ではほとんどの家が族譜を持っています。
さて、ホジュンの子孫である許氏一族も族譜があり、数十年ごとに族譜の編纂作業をしています。彼らが持っている族譜には、ホジュンの名前が記録されているのです。
ところで、ここでも面白い発見がありました。なんと、昔の許氏の族譜にはホジュンの名前が載っていなかったのです。その理由は、ドラマでも再三でてくるように、ホジュンが妾の子供だったからです。庶子と嫡子の差別が厳しかったため、族譜にも載せてもらえなかったのですね。
ところが! なんとホジュンが活躍した後の族譜には、ちゃんとホジュンが記載されているのです。博物館には1700年と1750年編纂の族譜が展示されており、1700年のものには名前がないが、1750年のものには庶子としてしっかり出ています。
偉大な業績を残した人物であり、御医になって身分的にも賎民でなくなったことから、記録されるようになったのでしょう。

(次回に続く)